分類:手技と手業の世界観

超微細加工の方法としてのハンドラップ技術

日刊工業新聞社刊『機械技術』誌 06年2月号所掲の当所論文の”原稿”です。

ハンドラップというオペレーション

 ハサミゲージの仕上げ工程は、作業者の人力に依るもの(ハンドラップという)であるので、身体の運動能力がそのまま反映されるものという自明の前提に立つ。
 ハンドラップの技能とは、右利きの作業者の場合、左手でワークを保持し、右手で、ラップ砥粒を作業面上に塗布したラップ工具を向かい方向に密着動作させてワーク面上をラップしていく、というものである。腕や手の動きは円運動であり、ラップ工具を介して、この円運動に基づいて対象ワーク面上に平面を作っていくというのがラップ作業の根幹である。
 通例、ラップ工具の平面をワーク面上に移していくことがハンドラップ作業だと定義されているが、この定義に従ってラップ工具作業面を平面に仕立てての作業では、対象ワーク面は丸くカマボコ型になり、良好な平面は実現しえない。
 つまり、身体運動を反映すべきラップ工具作業面は、作動の直角方向では直線度が確保されなければならないが、作動方向については凸R面となっていなければならない。
 ラップ工具の操作によって対象ワーク面上で平面を形成していくのは砥粒の振る舞いであるが、ラップ作業である限りは遊離砥粒としての振る舞いであることは言うまでもない。
 ダイヤモンド砥粒の場合、砥粒がラップ工具表面上で突き刺さった状態で固定砥粒として切り刃がワーク面を研磨していく、という理解もあるが、ダイヤモンド砥粒においても遊離砥粒としての振る舞いがその研磨能力を最大限に発揮する。
 砥粒の振る舞いを決定するのがラップ油の介在である。

ラップ工具について

 ラップ工具の材質については鋳鉄が採用されているのが一般的である。鋳鉄といってもいろいろと種類があるようで、必ずしも一義的な結論づけができるかどうかは留保しなければならないが、ハンドラップ技能においていわゆる超精密ラップ加工には不適である。
 #10000程度までの粒径でのラップは一応は可能であるが、#6000を超える微細砥粒では実務にならない。砥粒が固有する研磨能力が充分引き出せないのである。これは、鋳鉄面上の凹凸に砥粒が埋没してしまい、切り羽がワーク面に届かないためと判断される。砥粒が埋没すれば却ってラップ工具の平面平滑度が向上して好都合となるのではないかと考えても良さそうであるが、実態として研磨能力は喪われる。
 ラップ工具表面の機能役割として求められることは、遊離砥粒に対して抵抗力を発揮して半ば固定砥粒として作用させることである。そのためには、砥粒粒径の何分の一かの凹凸が存在していて、その凹部に砥粒が転がり込み(固定砥粒)、あるいは引っ張り出される(遊離砥粒)、というダイナミズムが実現されなければならない。
 鏡面を実現するためには、その中間工程(下加工)として#6000~#10000砥粒での面加工ラップの技能が確立していなければならず、この粒径範囲での砥粒の研磨能力を如何に最大限引き出せるかが、望ましい結果を獲得するためには必須の課題である。

ラップ砥粒について

 対象ワークの材質がSKS3合金工具鋼(焼き入れ・HRC60)であるので、中間仕上げに採用しているのはGC#6000砥粒、最終仕上げとして1μm(分級幅:0.5~1.0μm/メッシュ#15000相当とされる)ないし0.5μm(分級幅:0.25~0.75μm)単結晶ダイヤモンド砥粒である。同様の分級幅で多結晶ダイヤモンド砥粒も試用している。
 ダイヤモンド砥粒の採用は全く作業効率の観点からのもので、ダイヤモンド砥粒を採用する以前は#8000~#20000のGC砥粒で仕上げをしていた。
 ダイヤモンド砥粒の場合、ラップ工具への加圧力を加減すれば面粗度をある程度自由に決めることができそうに思われるが、加圧力を弛めると平面度が劣化する。従って、平面度をしっかりと確保しつつ目標とする面粗度を実現しようとすれば、一定の加圧力を所与の条件とした粒径の選択が大切なことになってくる。
 なお、加圧力を高めれば、1μmダイヤモンド砥粒でラップ痕を消すことができる。なぜ消すことができるかを考えると、一定の圧力の下で砥粒がワーク表面を削り込んでいわば凹溝ができ、これが通常の意味でラップ痕と指称されるが、実際には、この凹溝の外縁部にはカエリが生じており、ここでの光の乱反射をラップ痕として併せて視認していると仮定した場合、加圧力が大きくなれば発生したカエリが除却されることで凹溝のみを起因とする光反射を視認することになる。
 粒径1μmという寸法レベルは、実は、何か意味があるようで、超硬素材のある種のものに対しては、ラップするどころか表面をボロボロと崩壊させる。焼結材に直接作用して超硬粒子の結合をばらけさせるということのようだが、同様のことはセラミック素材でもある。これを回避しようとすれば、もっと大きな粒径砥粒か、はるかに微細なものを採用するかしかないようで、0.1μm砥粒でのラップでうまく解決できた経験がある。

ラップ油について

 一般的にはラップ砥粒が微細なものになるに従って「軽い」油種が採用されるとあるが、ラップ油の機能はラップ作業における潤滑役割だけにとどまらない。
 ハンドラップにおいては、遊離砥粒としての砥粒の振る舞いがラップの基本ではある。しかし、ラップ工具の動作速度に砥粒の振る舞いが追随できなければ、砥粒は半ば固定砥粒として振る舞う。
 つまり、ラップ工具の動作速度に砥粒が追随しないようにするだけの粘度がラップ油の性能として求められる。また、ラップ工具とワーク面との間がサブミクロン・オーダーになるため、それだけの油膜厚を保持しえるだけの展性と、その油膜厚にあっても粘性を失わないものでなければならないことが求められる。
 従前、WA#3000でのラップの場合、スピンドル油またはマシン油、もしくはその混成油を採用すればうまくいってきた。しかし、粒度#6000を超えると粘性を調整できないため実質的には空ラップとなってしまう。灯油や軽油を採用すると粘度も展性も欠け、時の経過とともに蒸散してしまうので役に立たない。
 従って、実際に使える油種かどうかさまざまにテストを繰り返す必要がある。当方の経験では、1μmダイヤモンド砥粒で有効な油種が0.5μmダイヤモンド砥粒でのラップには使えない。結構微妙なものがある。

ラップ油の問題

  ハンドラップにおいてもスクラッチは生起する。
 ここでのスクラッチとは使用している砥粒粒径より過大な粒子に起因する深く幅広い痕跡の発生を意味している。作業場内の浮遊塵とかラップ砥粒に粒径違いのものが混和されているような事態を考慮する必要がなければ、原因粒子の発生源はラップ工具表面かワーク表面しかない。
 つまり、ラップ工具表面とワーク表面とが密着してしまってそれぞれから表面組成物の剥離されたものが原因粒子だと考えるか、砥粒がラップ工具表面かワーク表面に刺さり込んで表面組成物を剥ぎ取ったものが原因粒子だと考えるかである。おそらく両者とも原因となり得る。
 前者に関しては、ラップ油の油膜特性によって解決されるはずのもので、問題になるのは後者である。
 単結晶ダイヤモンド砥粒の場合、粒径は慎重に分級されているとしても、形状はさまざまで、ワーク表面にいかにも刺さり込みそうな細長いものもあるようである。
 その解決はどうするかということになるのだが、ラップの加圧力を緩和すれば良さそうにも思えるが、微細砥粒であればある程刺さり込むことは禁抑できない。まして、確率的なスクラッチの発生に対して作業全般の定常的な効率を損なうことはできないことである。
 そこで、試みとして、1μmダイヤモンド砥粒に対してその3割程度の量のGC#30000砥粒を混和しハンドラップを行ったところ、ラップ目は良く揃ってスクラッチは出ない。同様に、0.5μmダイヤモンド砥粒に対して酸化ジルコニウム粉末を混和したところ、同じくラップ目は良く揃ってスクラッチは出ない。
 なぜかと考えてみるまでもなく、砥粒のワーク表面に対する切り込み深さは加圧力にかかわらず一定以下に保たれる。混和した粉末の粒径が緩衝材となる。GC#30000なり酸化ジルコニウムは焼き入れ鋼表面に対してほとんど研磨能力は無いので悪影響を及ぼさない。また、ラップ油の粘性が高まることによって、ラップ油の効能が改善されるのである。
 多結晶ダイヤモンド砥粒ではスクラッチがもし出るとしてもその意味は全く異なってくるのではないかという点や、多結晶/単結晶にかかわらず粒径0.2μm以下のダイヤモンド砥粒ではスクラッチの発生は回避されえるのではないか、という「見通し」を与えてくれる。
 実際どうなるかは試してみる価値がある。

 
鏡面を実現する加工工程

 ハサミゲージ製作に際して、鏡面を実現するための前工程はGC#6000砥粒ラップである。
 ハサミゲージの対抗2面間で実現すべき寸法精度・平面度・平行度・面粗度を確実なものとしようとした場合、このレベルの粒径での研磨力が作業の迅速性と精度実現に対し極めて有効であると思う。
 しかしながら、ラップ作業過程において砥粒自体が破砕され、当初粒径からかなり小さくなることもあって、#3000砥粒ラップ面からいきなり1μmダイヤモンド砥粒によるラップで最終仕上げに入って入れないこともない。
 もっとも、#3000砥粒ラップではワーク平面の丸み・ねじれ・湾曲といったものが完全には解消できないため、1μmダイヤモンド砥粒によるラップでの是正工程に大きな負荷がかかってしまい、本来の仕上げラップになかなか入れない。従って中間粒度での確実な是正工程が必須となる。
 GC#6000砥粒で下仕上げがなされている場合、ダイヤモンド砥粒に1μm径か0.5μm径かで鏡面実現に要する工数はあまり変わらない。それぞれの粒径に相応した鏡面が実現される。
 ダイヤモンド砥粒を採用せずGC砥粒で鏡面を実現しようとすれば、当方の現在の道具立てでは#20000が上限となる。砥粒の違いによる鏡面性状の差ははっきり出るが、ダイヤモンド砥粒との違いが出るのは、硬度差・径差・形状差だけでなく、砥粒としての物性差とワーク表面に対する働きかけの差があると判断できる。しかし、残念ながら、内実は把握しきれていない。

ハサミゲージ製作における超微細加工の意義

 ハサミゲージは、近現代における「限界ゲージ方式=互換性の保証を内含した大量生産方式」での、その互換性保証の規格を体現した検査工具である。特に「嵌め合い」の場合、規格最小値を体現するものであることが生産技術上も望ましいとされており、ゲージ製作に際しても、製作公差範囲内でその最小値を目標とすべきことが望まれている。
 1μmダイヤモンド砥粒でのラップの場合、1μmの寸法変位をもたらす(1μmだけ寸法を研磨する)ためには、5mm厚の材料で30~50ストロークを要する。つまり、サブミクロン刻みの加工を安定して継続できるということであって、寸法加工の確実性は改めて指摘するまでもない。
 仕上がったものが製作公差内に入っているかどうかという作りと、この寸法に仕上げるのだと決めた作りとの差は、工程上は全く違う世界である。
 ハサミゲージの測定面が鏡面仕上げされている場合、寸法と平行度の検査具であるブロックゲージのゲージ面が鏡面とされているので、両者の面間でリンギングの現象が生じるか、あるいは極く僅かの油膜を設けることでほとんど抵抗無くブロックゲージがハサミゲージ測定部を滑走する。1μm大きなブロックゲージを挿入しようとすれば大きな抵抗を受ける。つまり、寸法・平行度検定が極めてクリアなものとなる。
 また、鏡面となることでゲージの素材特性が最大限発揮され、SKS3材の耐摩耗性も充分に効能を発揮するのである。鏡面に対して#4000GC砥粒ラップを仕掛けた場合、最初の2~3ストロークは引っ掛からずに空滑りしてしまう。
 このように、寸法精度・平面度・平行度・面粗度の各観点から、ゲージ測定面の鏡面化加工は究極的に望ましいわけである。

終わりに

 ハンドラップ技能は、ハサミゲージ製作においてはワークの「内側」を加工するものであり、本来、機械ラップの適用はラップ盤の機構上全く無理である。作業者の人的技能に依存せざるを得ない分野であるが、そうであればこそ、独自の世界を実現できる技能として、今後ともいっそう洗練されていくべきものであろうと思う。適用可能分野はハサミゲージ製作に限定されない。