ステンレス鋼製ハサミゲージ
1. ゲージ素材としてのSUS420J2
ステンレス製ハサミゲージを特定ユーザー向けに供給し始めたのは1997年以降のことで、それまではYG4で製作し、表面防錆のためにクロムメッキを施したものを供給してきていた。メッキを施した場合でも、測定部の寸法精度の仕立て上げに際しては測定部面上のメッキ層は除却しないといけないから、肝腎なゲージ測定面上での防錆」という点ではなお不完全なものだったわけである。
この点は昔から問題視されていて、その解決法として、ゲージ測定部を先ずメッキ厚み寸法を見越して大きめに仕立て上げ、その後に硬質クロムメッキを施して、その硬質クロムメッキ層が残るようにして最終的に仕立て上げる、という技法が採用されていた実例があった。
この技法の「泣き所」として、硬質クロム層のメッキ厚が決して均等なものではなくて、また、実際のメッキ層厚みがどうなるかは事前にはコントロールが難しいという、あるいは、小寸法のゲージの測定部というワークの「内側」のメッキが難しいという、これらのメッキ技術それ自体の困難さがあり、また、硬質クロム層の硬度が大きいため寸法仕上げに難儀するという問題もあって、うまくできたとしても非常に手間の掛かる高コストなことになってしまう。
そのために、メッキ厚さを均等にコントロールできるとされる「無電解ニッケルメッキ」をベースにして、そのメッキ層の硬度を硬質クロムメッキ並みに高めることができるという処理方法もあるのだが、その硬化処理の際に加熱されるから、ゲージの焼き入れ処理が無意味になってしまう。従って、ナマ材状態で仕立て上げたゲージに無電解ニッケルメッキを施すということにならざるをえないのだが、その場合でも、メッキ層厚みに対して一定割合での不均等さが避けられないということだから、根本的な解決の技法とはならない。
ゲージの母材が焼き入れをしないナマ材のままで良いということであれば、メッキ処理をしないでステンレス鋼それ自体を採用すればいいのではないか?という方向に向く。
試作してみると、柔弱な素材であるため、板ゲージの素材としては適性を欠く。表面処理としていわゆる「窒化処理」を施した場合、窒化処理を施した表面と母材との硬度差が大きすぎて、あまり窒化処理の「深さ」を大きくとることが出来ないということになるわけで、解決には程遠いことが明らかになる。
あれやこれやの経過を経て、SUS420J23に行き着いたわけである。
もちろん、ステンレス鋼中の最大の焼き入れ硬度を補償するSUS440Cという素材があることは承知していたのだが、当時では、入手可能な材料厚みが6mmが限度であって、4-5mmの薄板は作られていないようなことだったので、板ゲージの材料としては偏ってしまう。また、非常に粘り硬い素材であるので切削や研削に往生するということもあって、早々にその採用の検討から外れたのであった。
なお、SUS440Cでの経験を踏まえて、ダイス鋼製ハサミゲージの製作へのスタートラインとなった。
SUS420J2の焼き入れ硬度はHRc56がその上限となる。
ゲージの焼き入れ硬度はHRc60と規定されているところHRc56では最初から話にはならないと否定的判断をされる向きもあるのだが、センターポンチで焼き入れ部分を打てばセンターポンチの先端の方が潰れてゲージ測定部にはその痕跡も残らないというくらいの硬度があるということ、13%クロム鋼であるからその耐摩耗性は充分であること、耐銹性について言えば、表面の酸化クロム層を丈夫なものにすることで簡単には発錆しないように事前に処置できるということを踏まえて、本格的に製作に踏み切ったのであった。
なお、SUS420J2の系統の素材は、ノギスを始め測定工具や測定機器のパーツに広く採用されているもので、板ゲージの材料として用いるということは決して特異なことではない。
2. 種類と仕様(肉厚用板ゲージ)
いわゆる「肉厚用板ゲージ」の場合に、特殊仕様の特殊性というものが明確になる。
ワーク(被検定物)がプレート(板)の場合、その板厚の検定は通常仕様のハサミゲージで事足りる。ただ、JISで規定しているハサミゲージの形状仕様というものは「軸径」を検定するという目的に対応したものであるから、ゲージの通り部と止まり部の長さについて必ずしも適切と言えない場合が出てくる。そのような場合には、適切にバランスさせるように定める。
ここで特定ユーザー向けに製作している「肉厚用板ゲージ」というのは、パイプの肉厚を検定するためのものである。
パイプの内側というのは凹Rになっているから、その凹Rの曲率に沿った凸Rにゲージ測定面が仕立て上げられていないと精確な寸法検証ができないという発想に立って、ゲージ測定部を凸R状(つまり、蒲鉾状)に仕立て上げられるべき事が求められる場合がある。このような測定部のR加工についての問題点は、以下のようになる。
①ゲージ測定部のR加工は、厳密に言えば、パイプ内径の曲率に一致したものであるべきことになるのだが、実際にはそのような曲率の計測は不可能であるから、パイプ内径よりも小さな曲率であれば足りるということになる。
つまり、ゲージ測定部の凸Rの頂点でおいてのみ寸法値と平行度が確保されていれば良く、その他の部分は単なる「逃がし」のための加工になる。
②ゲージ測定部の凸Rの頂点の寸法値と平行度というものは、ゲージ基準部とゲージの段差部とが精確に対向していないとワークの肉厚を精確に測定していることにはならないのだが、その対向関係を検証することはほとんど不可能である。ゲージ各部の対向関係にズレがあれば、ゲージとしては不適合となる。
③実際のゲージの仕立て上げに際しては、凸Rの頂点で寸法値とその平行度を実現するということはほとんど無理なことであるから、その凸R部分を通常のゲージ測定部の仕立て上げの方法で仕上げ、この時点ではゲージ測定面は平面になっていて、その寸法値と平行度は確保されていて、その後にそのゲージ仕立て面を残しながら凸Rになるように、その平面幅が限りなく狭小になるように仕立て直すということになる。
以上の事をを踏まえると、ゲージ測定部を必要な幅に切削して、ゲージ測定面の寸法値と平行度の検証を行い、最終的に、ゲージ測定面幅の調整を行うという方法が、等価であって、なおかつ、確実な方法であると言える。
パイプ内径の凹R面に対して、ゲージ測定面幅の大きさに応じた空隙ができるのだが、従ってこの点にこだわってゲージとして用をなさないという判断が下される向きもあるのだが、その空隙の寸法値をほとんど0(ゼロ)になるべきゲージ測定面幅は計算できるのであって、計算上2~3μmに留めるようにすれば実務上は問題にならない。言い替えると、この空隙問題はゲージの製作公差に吸収される。
写真のものは、以上の考え方に基づいて製作されてきている。
測定部の基準寸法はいずれも3mm以下のものであって、パイプ内径にゲージ測定部が入るように、ゲージの脚幅を調整している。
製作実績としては、ワークであるパイプの内径がφ6、基準寸法値として0.8mmが経験できている。
この仕様に基づくと、製作仕様の自由度が大きいため、例えば、通り寸法を上限都市止まり寸法を下限として、その間をテーパーで結ぶという仕様のゲージが製作される。つまり、通り寸法よりも小さく止まり寸法よりも大きいワークはもちろん合格品である訳なのだが、具体的に、どの程度の寸法で合格しているかをテーパー部分で読み取るものである。どの程度な寸法範囲でワークを製造するかに応じて、ゲージの仕様もいろいろと可能になる。
3. ゲージの発錆と防錆
「ゲージは錆びるものである」ということなのだが、いわゆるSK工具鋼(炭素工具鋼)の場合、そこに含まれるカーボンが酸素を招き寄せ、結果として発錆が不可避となるということを意味する。
そのために、酸素を遮断する防錆油をゲージ表面に塗布するという作業が不可避なのだが、その都度に防錆油を塗布するという作業は煩瑣なものになる。
発錆の解決のためにはステンレス鋼を採用すれば済むというのがその解決のための早道なのである。
SUS420J2の場合、焼き入れ処理をする必要上カーボンが含まれ、そのため、他のステンレス鋼種に対して発錆が免れないということになって、SUS420J2の採用は余り意味がないとされる場合も少なくはない。
ステンレス鋼の防錆性というのは、その表面に酸化クロム層が形成され、それ以上の酸素の浸潤が防止されるという点に存しているのだが、そのため、カーボンを徹底的に排除したステンレス鋼の製鋼という試みも広くなされ、実用化されてもいる。
SUS420J2の場合、例えばリングゲージや栓ゲージのように砥石研削で仕立て上げる場合、その表面で研削熱が課せられるために、ほとんど強制的に酸化クロム層が形成され、従って、その結果として非常に錆びにくいものが出来上がる。
ハサミゲージ(板ゲージ)の場合は、その表面を微細に仕立て上げることによって、表面の酸化クロム層を丈夫にすることができる。ゲージ測定面は遙かに微細な面粗度になっているから、測定面の発錆はかなりな程度防止できる。
酸化クロム層の特性として、単に表面のクロムが酸素と結合するということにとどまらず、表面にできたキズを修復するという「自己修復能力」が認められ、つまり、内部から表面に向かってクロムが「浸み出す」という効果が認められる。
この点は12%クロム鋼であるダイス鋼でも同様であって、例えばブロックゲージの表面にある微細なキズが時の経過と共に目立たなくなるということは普段に経験していることである。
SK工具鋼製ゲージの場合、測定面が酸化すると、先ずラップ仕立ての「艶」が失われ、灰白色の表面となる。この段階で、材質としての「粘り」が失われ、磨損が進行しやすくなる。その次の段階で暗赤色の粒子状の発錆となるのだが、発錆の表面での拡がりと同時にピン・ホール状に深さ方向に浸蝕が進む。発錆が発生すると、その部分は体積が膨張するから、ゲージ寸法というものは意味をなさない。従って、早めに発錆部分を除却し、ゲージ寸法を仕立て直さないといけない。その作業を担当すべきゲージ・メーカーが確保できていれば良いのだが、そうでなければ、発錆を生じたゲージは廃棄されることになる。
ゲージ測定部の発錆は防止できていた場合でも、ゲージ表面に発錆が進行した場合、ゲージ表面の刻字が読めなくなるということになりがちである。
SUS420J2の場合、発錆が生じた場合であったとしても深さ方向に浸蝕がどんどん進行するということは無くてその表面にとどまるから、磨き直せば錆は除却できる。この点はダイス鋼でも同様である。