分類:手技と手業の世界観
ハンドラップの技と工学
ハンドラップ概説
●ハンドラップの意味
ハンドラップとは、作業者の手の動きによって、対象物に対して極く微細な研磨作業を施す技法を言います。
この作業の目的とするものは、対象物に正確な平面を形成すること、なのですが、そのために、極く微小な寸法加工ができることが求められます。具体的には、ラップ作業において使用される道具(以下、「ラッピングツール」と指称します。)と、研磨材(「ラッピングパウダー」と指称します。)の組み合わせです。
この作業によって実現されることは、ゲージの場合は、測定面の凹凸が極く微小であること(平滑度が高いこと)、従って、平面度が優良であること、及び、対向面間が定められた寸法値において(完全に)平行であること、です。
なぜハンドラップかと言えば、この技法によればワークの任意の面の特定対象部分に対して自由に研磨を施すことができるからであり、また、ハンドラップによらない限り不可能であるからです。
例えば、フライス加工されたワークを測定してもう10μm削れ、ということは無理でしょう。平面研削盤にかけて再加工したワークをもう1μm削れということも難しいでしょう。しかしながら、ハンドラップによれば、サブミクロンどころか0.01μmのオーダーで再加工することが可能なのです。というより、0.01μmのオーダーでの加工技術は、人間の手によらない限りは自由にはならないと言えます。
人間の手技こそが最高度の精度を発揮するフレキシブルな工作機械である、という次第です。
●ハンドラップの由来
このハンドラップの技法の由来についてはよくわかりません。少なくとも、近代日本において製造品の互換性を保証する《限界ゲージ方式》を生産システムの根底に置いた時には当然限界ゲージの必要性が承知されていたはずであり、限界ゲージが必要に応じてが製作されていたはずであり、限界ゲージが製作されていた時にはハンドラップという技法も確立していたはずのものです。おそらくは海外(ドイツ?)からの移入技術であったと思われます。
ただ、焼き入れ鋼を研削するという技術はある種《地霊との交信》めいた神事の形態をまとった日本の在来技術として確立されたものがありました。日本刀の製作技術です。
出雲産の「玉鋼」を鍛える映像はテレビ放送等でお馴染みですが、それを研ぐ「研ぎ」の世界はあまり知られてはいません。地味な世界ですから映像化し難いのかも知れませんが、国産の天然砥石の秀逸さはもっと注目されてしかるべきものです。
いささか一般論に逃げ込んだ言い方ですが、日本の技術の有り様として以下のような印象を持っています。
新たな必要性が強く意識された時、従前技術で対応できるところとできないところとが直ちに分別され、対応できないところに対してはどのように従前技術を再編展開しなければならないかと工夫がなされる、その工夫の根本は《道具の考案》です。つまり、加工という技術に関しては、人間の能力の原理的・普遍的・一般的な把握が既に確立していて、新たな必要性に正しく対応していくためには、この眼前の具体的・現実的な必要性と既得の人間の能力の原理的・普遍的・一般的な把握とを結びつける《道具の考案》を媒介にして実現されていく、というわけです。
近代以降、欧米の近代技術の移入に素早く成功し得た下地には、このような見方ができると思います。日本の近代を準備した近世社会という視角は、この意味では当然の常識的理解です。近代合理主義思想を素早く身につけた技術者にして初めて西欧近代科学の成果を日本に移入し得たという視点は一種のエリート史観ですが、そのエリート技術者の設計思想や創造性を着実に現実化するためには膨大な技術職人の存在が不可欠です。この技術職人層の質と量が国家近代化の資源でした。近世社会において既に準備されていたのです。
エリート史観を拒否して技術職人層の歴史的な意義を再評価しようとする意図を込めて、例えば職人の職業倫理の形で《妙好人》が語られ、あるいは、ある種「道を極める」《道の思想》が語られてきました。独自技術の確立に成功し、あるいは従前輸入に頼ってきた工作機械の国産化に成功した・・といった近代日本の工業化の歴史は、さまざまな人々の苦労と努力・創意工夫に満ちています。しかしながら、個人の属性に拠って技術が伝承・発展・維持・革命されることは確かにありますが、その個人の属性そのものを広範に支える思想的な歴史基盤があったと考えないといけないと思います。そこまで踏み込まないと見えてこないものがあります。
現在、「モノづくりの危機」が強く意識され、その危機からの脱却方法として、一方で生産現場の生産システム自体の改善・改革が、他方で生産担当者自身の創意工夫へのモチベーション強化が指摘されています。客観的条件としての生産システムと主体的条件としての個人属性の結びつきでモノづくりが成り立っているという近代合理主義思想の呪縛から一歩も出ていない、つまりは所期の成果は期待し難いとは考えています。
伝統回帰と言うと保守的な浪漫派的趣味と捉えられそうですが〔そう言えば、戦前期の日本浪漫派の正当な歴史的評価に出会ったことがありません〕、この《伝統》とされるものの内実をキチンと理解し把握しないと現在の位置が見えないし、未来への出口を見つけだすこともできません。
閑話休題。
ハンドラップ技術が一挙に普及したのは戦時中のことです。というより、そもそも日本におけるゲージの歴史は軍需生産の成長発展と相即するものでした。
国家総力戦ということもあり、陸・海軍の造兵廠でだけでなく、航空機や艦船の製造に関係する軍需工場において技術者が系統的に養成され、また、公立の技術者養成機関も設置されました。そこで適性が認められた者は専門技術職として現場に配置され、あるいは、独立開業して軍需に当たったわけでした。
なぜにハンドラップ技能者の大量養成(大量といっても、何百何千のオーダーではありませんが)が求められたかと言えば、それだけの需要があったということの現れですが、それは、銃火器の製造に当たって、銃身と弾との嵌合精度は規格を満たしていなければならず(銃火器の性能を左右する、弾が銃身内で引っ掛かれば銃火器を破壊して兵士が損傷を受ける)、あるいは、弾の互換性が完全に保証されていなければならない、という事情のため、膨大なゲージの需要があったわけです。ゲージの製作技術=ハンドラップ技術という等式は維持されましたが、それでもゲージの製作が間に合わず、砥石仕上げのものやそれ以下のものも大量に利用されました。
ゲージの製作方法について、陸軍式(大阪式=陸軍大阪造兵廠)と海軍式(広島式=呉海軍造兵廠)という二つの方式がありました(関東ではどうだったかは知りません)。製作すべきゲージの大きさの違いによるものですが、いつしかこの二方式は混和し、大きなモノは広島式で、小さなものは大阪式で製作されます。これは現在でもそうです。従って、同じくゲージを製作するといっても、その技術職人の系譜経歴によって製作方法は一様ではないわけです。
ブロックゲージの国産化に成功したのは津上退助氏(津上製作所)のおかげでしたが、いろいろと紆余曲折・浮沈も経過されたと聞いています。氏の職人技を侮って別個にブロックゲージの製作に着手したメーカーもあったわけですがどうしてもうまくいかない(すぐに経年変化が生じて寸法が狂う)こともあったそうです。それはそれとして、ブロックゲージがなければどうしようもないので、それぞれ製作されました。ミクロン・レベルで精度が出ていればよいという程度のブロックゲージでさえ逼迫していた時代でした。
私などが感服してしまうのは、当時において、津上製のブロックゲージとその他製のブロックゲージとの《違い》を検定できる測定器と精密測定技術者が存していたということと、検定結果が客観的に評価されて現場にキチンとフィードバックされた、という事実です。
国家総力戦という《大義》の下ではじめて技術・技能が客観的な評価が成り立ち得た、ということを意味しますが、今なら、さしずめ《大義》とは《市場の評価》ということになるのでしょうが、うまくフィードバックされているのでしょうか。
●ハンドラップ技術の現在
戦後、ハンドラップ技能者のある者はゲージ製造業を始め、あるいは他の職に就きました。
ゲージメーカで板ゲージ製作に従業していた人が独立することも相次ぎました。
技術としては、私(わたくし)の事業体としてのゲージ製造業の枠内に閉じこめられ、限界挟みゲージの製作に当たっているところにはよく維持されてきていますが、それ以外(いわゆる丸物ゲージ製作、もしくは測定ジグ製作)の分野に主力を置くようになったところではいつしか放置されました。親子等の世代間継承に失敗したところでは亡失されてしまいました。今では、ハンドラップという技術があることは知る人は知っていると言えても、本当に理解されることは稀と言ってもよい状況のようです。
なぜこのような状況に至っているかについてはさまざまに論じることが可能です。私自身も、暇をみていろいろと論じていくつもりではおりますが、ここでは2・3の点だけを指摘しておきましょう。
一つには、技術の存在が個別私企業(経営体)の枠内に止められているだけで、その技術の汎用性・普遍性に対する自覚を欠いていた点があります。半導体製造技術の分野で、ウェハー表面ラッピング技術(鏡面仕上げ技術)に各社がしのぎを削っている現在において、ゲージ業界のこの分野に対する関心はほとんど冷淡です。シリコンや硝子の表面ラッピングよりも焼き入れ鋼材の表面ラッピングの方が数段の技術的困難さが有り、ゲージ製作技術がこの分野に寄与できるものも多いと思えるのですが。
また、二つには、大学工学部での教科書において、ハンドラップ技術が付け足しのように記載され、しかもその内容は定盤ラップからの類推に基づいて説明されていることです。精密測定工学や生産技術工学の分野の学生に、これでは、正当な理解を期待することもできません。教科書の執筆者本人がおそらくはハンドラップの現場を知らないということですが、ゲージ屋は誰もこの先生に見せようとはしませんから、それはそれとしてやむを得ない結果ではあります。
三つ目には、ハンドラップという手仕事で生産を行っている限りは《家業》ではあっても《事業》にはなり難く、野心のある二代目・三代目は機械力を主とした加工業への成長発展・転身を図ります。その方が、「一人前のゲージ職人になるには十年かかる」のに十年たってもこの程度の事業でしかないという、いささか徒労に満ちた世界から早々に足抜けができるというものです。
従って、ハンドラップ技術もいつしか途絶えてしまうのではないか、という危惧が存します。
需要がある限りは技術が途絶えることはありませんが、異分野の技術者が独自にハンドラップ技術を確立する可能性もあるかと思えます。現在の《鏡面加工技術》です。
しかしながら、その喧伝された《鏡面加工技術》によれば、ワークの加工硬化(熱硬化)が回避し得ず、おそらくはワークそれ自体が歪んでくる(捻れてくる)だろうと思えます。鏡面加工というのは、私どもの理解では、表面の凹凸が可能な限り僅少であると同時に平面度が限りなく水平面に近いモノでなければならないのですが、この後者の問題の解決がどのように考えられているかが問われるわけです。鏡面ラップ機で加工する限り加工硬化(熱硬化)が回避し得ず(冷却しても困難です)、焼き入れ鋼に対しては焼き戻しがされたと同じ結果を招き、従って、(最終的には)人間の手に依らざるを得ないのですが 、そこまでの表面精度は不要であるならばともかく(半導体製造技術で言えば、回路パターンが焼き付けられるまで平面度/鏡面精度が維持されていれば良く、その後の工程で仮にワークが変形したとしても何とか凌げる、というのが実態なのでしょうか?)依然解決されるべき問題は存しているようです。
さて、以上が『前口上』となるハンドラップ技術の位置づけですが、以下に、この技術の工学的な意義付けを行っていきましょう。
定盤ラップという技法
教科書の例に従い、基本形である定盤ラップから説明していきましょう。
右図の概念図で説明すれば、正しく平面に仕上げられた定盤の上にラッピング剤を塗布し、ラッピングすべきワーク面を定盤面に密着させて摺動させればよい、という説明が一応は成り立ちます。
実際はそう単純なものではなく、定盤上では、ワークの自重に加えてワークを定盤に押しつける力が必要で、その力とワークを摺動させる力との合成がワークの端部に集中します。つまり、この部分のラッピング(研磨)効率が他の部分よりも高度になってしまい、ワークの全体のラッピング面は丸くならざるを得ないことが明白です。
「ラップ定盤の平面を正しくワークのラッピング面に移していく」というためには、自重方向への押し圧力に比べて極く小さい力でワークを摺動させることが必要ですし、定盤上のラッピング剤も必要最少限度にしなければならないわけです。定盤面とワーク面の間でラッピング剤を浮遊させるという方法が鏡面ラップの技法であると言われていますが、その可否は別として、平面度の確保が困難です。ワークの周辺部が必ず「だれる」のです。従って、作業の見通しとしては、対象のワークの周囲に「捨てワーク」を設定して全部を一体のものとしてラッピングしてしまう、ということで解決を図ることが考慮されます。
原理的には以上のようですが、簡易に平面が確保できる技法ですから、さまざまに改善を加えて活用されている技法です。
ハンドラップという技法
●ハンドラップ技法の実際
ハンドラップ技法は、右利きの作業者の場合、左手でワークを支持し、右手でラップ工具を操作してワーク面上をラッピングする技法です。
この説明から明らかなように、定盤ラップ法のワークとラップ定盤の位置関係を転倒させたものです(だから、定盤ラップ法からの類推でハンドラップ法が説明されるわけです。)。
ラップ面の品質を決定するのはラップ工具で実現できる平面度と、ラッピング剤によって実現できるワーク表面の平滑度ですから、従って、ラッピング剤をどのように活用・利用するかが鍵となります。
ラッピング作業を通じて、ラッピング剤の具体的な作用は、①ラップ工具表面に固着してワーク表面を線刻していく、②ラップ工具表面とワーク表面との間で回転しつつ両面を抉り込んでいく、③ラップ工具表面とワーク表面との間で浮遊しつつ両面を摩耗させていく、④ラップ表面に固着して、ワークの表面組織を剥ぎ取っていく、というように分別できると思います。
例えばダイヤモンド砥粒が埋まり込んだラップ工具を使えば、それは一種のダイヤモンド・ヤスリですから、容易にワーク表面を削り込むことができます。ワーク表面に塗布したラッピング砥粒をラップ工具表面でヌルヌルと擦り込むようにすればワーク表面の凹凸を消していくことができます。つまり、ラッピング剤の粒子の幾何学的形状と硬度・自己破砕性といった物理条件と、ラップ工具のワーク面に対する押し圧力などの作業条件とがうまく組み合わされて作業されています。
このうち、ラッピング剤のメーカーは限定されており、また、従って入手できるラッピング剤もその種類は限定されたものとなっていますから、あとはどううまくそれを使いこなすかというだけに問題は限られます。
もっとも、このように言ってしまうと、まさしく経験がすべての《手業の世界》であるかのような印象を与えてしまいますから表現に迷うのですが、現実的には、徹頭徹尾、理論による諸現象の解析に基づいて如何に自己の身体能力を統御していくか、
に集約される問題だと思っています。
通常、#2,000~#3,000の粒度のラッピング剤を使用してのラップ表面でゲージとしては必要充分な面性状が出来上がります。
私どもでは、技術的には#30,000の粒度のラッピング剤を使用するまでに至っていますが(これ以上微細なラッピング剤は市販されていませんので、既に行き着くべき所まで行き着いているという状況です)、ゲージ製作上の品質基準としては#10,000でのラッピング(つまり、それによって実現され得る面性状)としております。
なお、粒度の問題についてもう少し説明が必要でしょう。
ラップ機を使用してのラッピングを行っているあるメーカーでは、粒度#1,200程度を採用されているように述べられていますが、結局、適正粒度は、ワークの材質・硬度、ラッピングの押し圧力と速度、で決まるようです。
ラッピングの押し圧力を高めれば、あるいは速度を高めれば研磨力が上がりますが摩擦抵抗が上がって発熱しますし、ラッピング剤の粒度について言えば、押し圧力が高ければ摩擦抵抗が上がりますが、適正な押し圧力を加えないと研磨力が発揮されません。押し圧力を加えると、ワークの表面には弾性がありますから、厳密な平面として研磨することができません。ラッピング剤が均等にワーク表面に表面に分布し、均等に押し圧力が加わるようにしなければなりませんが、今度は、ラッピング剤をワーク表面に均等に分布させるべき媒質(水もしくは油)に粘性がありますから、押し圧力が素直にラッピング剤に均等に伝わることがありません。同時に、ラップ工具が旋回運動をする場合、外周と内周の周速度の違いがワーク表面に対してヒネリの力を加えるようで、ワーク表面を削ぎ落とすような作用もするようです。ワークのわずかな凹凸が研磨面全体にさまざまな影響をもたらせます。通常、常識的にはワーク表面は均一な性質を持つと考えられますが、サブ・ミクロン以下の微細な世界では、金属その他の結晶構造に拠る不均一さが特異な現象を現出するのではないかと疑っています。
ハンドラップの場合は、上記のような問題はあまり生じません。
ラッピング剤で研磨したあとポリッシング剤で研磨痕を消すという作業があります。これについてはさまざまに論じるべき点がありますが、特定の作業者の作業についてのみに固有の問題なのか、特定の素材とポリッシング剤との組み合わせにおいてのみ生じる問題なのか、何が特殊で何が原理的な問題なのかの分別が充分ではなく、ここでは詳論しません。
●ハンドラップ技術とトレーサビリティ
ハンドラップで実現されることは、面の平面度と平滑度の点だけでなく、例えば、対向した2面間の傾きを補正して面間平行度を厳密なものとするという点にも存します。
ISO9000’sの時代に至って、実は、ゲージそのもののトレーサビリティとは何をいうかという問題が改めて意識されなければならないと考えています。そんなことは単純明快なことだ、ブロックゲージを差し込んでみれば誰にでも明確だ、何を訳のわからん理屈を言い立てるのだ、と言われそうですが。
例えば、このゲージの寸法が25.113であるとされる場合、この25.113の寸法は何を意味しているか、です。結論を言えば、それはこのゲージの最小寸法値を指示しているわけですが、それでは、ゲージ寸法にテーパーが掛かっているか否かにまで踏み込んで検定されることはまずありません。ゲージ測定面の捩れや面粗さにまで踏み込んで検定されることがまずないわけです。だから、受け入れ検査で合格した複数ゲージについて、あるものは使用後すぐに寸法が大きくなり、あるものは結構長く精度が維持される、という現象について、焼き入れが拙くて耐摩耗性が劣っていたという結論が出される場合があるにしろ、実態は、ゲージ面の捩れ等で最小寸法値の箇所が点でしかなかったためその部分が摩滅すれば直ちに正体が現出したのだ、ということもあるわけです。寸法公差に幾何公差の考え方を導入した場合でも、それはなかなか解決策にはなりません。
つまり、 ゲージの基準面が正確に確定されていて初めて、ゲージ測定部の面間寸法値や面間平行度が確定されるわけですから、それだけに、ハンドラップ技術による正確確実なゲージ測定面の仕上げが求められます。
ゲージ製作におけるハンドラップ技法(追加の議論)
「ハンドラップとはラップ工具の平面度をワークに移していく工程である」という説明がなされますが、正確には、「ワーク表面の凸部を研磨して磨削していき、最終的に凹凸のない平面を形成する工程である」と言うべきです。従って、その目的に適合したラップ工具の性状が確保されていればいいわけであって、必ずしもラップ工具そのものに平面度が確保されていなければならないというものではありません。
このことは、半丸のヤスリでワークを直線に仕上げることができることからも自明のことです。練達したヤスリ仕上げ工は1本のヤスリで直線加工も凸R加工も凹R加工も自由自在に行えるものです。傍で見ているだけで感動しますが、こういう熟練工はすっかりいなくなりました。
ゲージの仕上げに際して、先ず、基準面を仕上げます。
面精度はオプチカルフラットで検証しますが、0.1μ精度のオプチカルフラットで光彩の筋が出ないまでに仕上げできます。この段階では当然ブロックゲージとリンギングします。但し、厳密には(10万分の1mmのオーダーもしくはそれ以下ですが)、わずかに凸Rが掛かっています。(なぜ凸Rになるかを考えてみることは有益なことです。)
昔の話になりますが、ヨハンソン社製のブロックゲージはリンギングが強く、長尺に組み合わせても容易に分散しないという「定評」がありました。国産のブロックゲージでは及び得ない世界であるとされてきました。この秘密は、ブロックゲージ端面の「平面度」が良いということに尽きるのではなく、極くわずかに凹Rが掛かるような仕上げがなされている、と理解されていました。
つまり、リンギングという現象をどう理解するかに関係することなのですが、完全に平面に仕上げられた平面同士がリンギングする場合、両者の接合面において原子間引力が作用して引き合うためにリンギングするのだという理解がありましたが、そのような「理想平面」が工業的に実現されているとはにわかには信じがたいことも事実です。これに対して、ヨハンソン社製のブロックゲージのような場合、わずかに凹Rとなっている平面同士を接合させた場合、両者間のわずかな空隙にある空気は両者の弾性によって排除され、大気圧が掛かることによってリンギングする、という理解がなされます。どうもこれが正当な理解ではないかと考えていますが、現在では、教科書では両者の油面が接着の役割を演じているとされています。
技の問題として考えなければならないことは、どのような方法に拠ってかわずかに凹Rにラッピングでき得た実例があったわけですから、わずかな凸Rからわずかな凹Rへ至るラッピング技術とはどのようなものであるかを私たちなりに究めることです。理論的には凹R面とするプロセスはさほど難しいものではないのですが、「道具立て」がどうなるかが「やってみなければ分からない」世界となっています。もっとも、凸か凹かでブロックゲージではないハサミゲージの寸法精度品質が左右されるものではないので、実務的にはあまりマニアックな世界に足を踏み入れることはありません。
ハンドラッピングの具体的な研磨状況に関しては充分研究されているとは言えないようです。
ダイヤモンド砥粒を使用してのラッピングにおいて、砥粒がラップ工具に固着して一種のダイヤモンドヤスリとなっているのではないかという見方は既に指摘しましたが、WAやGCという砥粒の場合、ラップ工具が鋳鉄製の場合、その表面に散在する穴にこれらの砥粒がはまり込んで固着し、同様にWA砥石やGC砥石として作用しているのではないかとも類推されています。
しかし、そうであるならば、砥粒の大きさが鋳鉄表面上の穴径より小さい場合には機能しないということになります。
こうして、砥粒を最初から固着させたプラスチック素材をラップ工具とするものが開発されてきました。
しかしながら、実際に使用してみると明白なのですが、確かにワーク表面の凹凸を消して平滑な面を作ることはできても、それによって形成されるべき平面度は劣ります。それでは、ということで、砥粒を固着させたプラスチック素材を極薄のテープ状にするとか、弾性を改良した素材を開発するとかの工夫もされてきています。それなりの成果はあるのでしょうが、ゲージには採用できないように思えます。
ゲージの場合、現在もなお、鋳鉄製のラップ工具が使用されています。
概ね#2,000~#3,000の砥粒において良好な結果をもたらすため、先に述べた「鋳鉄製ラップ工具の表面に散在する穴にこれらの砥粒がはまり込んで固着し、WA砥石やGC砥石として作用しているのではないか」という見方を補強するものです。更に言えば、工具材料の鋳鉄に個体差が著しいようで、非常に良好な「切れ味」を発揮するもの、ほとんど役に立たないものなど、千差万別です。このことも補強材料でしょう。また、砥粒が#5,000以上の場合にはラッピング効力が劣ります。このことも補強材料になります。
しかしながら、この見方に立脚する限り、ラッピングとはワーク表面を《線刻》していくことになり、ダイヤモンド砥粒を採用することが最も効率的であって、また、ワーク上に実現されるべき平面度はラップ工具表面の平面度に規定される、という結論から脱却することはできません。
実際には私が現に使っているラップ工具上の平面度は必ずしも確保されていませんし、ダイヤモンド砥粒は採用していませんから、今まで述べてきた「教科書的見解」はことごとく「何かの誤解に基づく辻褄合わせ」でしかないと思っています。
私自身は、ラッピングのプロセスはもう少し複合的なものから成り立っており、従って、事態を単純化してしまう見方は自分自身が現に行っている技法の有り様を見失わせるものと考えるわけです。
さて、基準面を仕上げ終わったら、対向する測定面(通止の測定面)を仕上げます。
ブロックゲージとオプチカルフラット等を用いて、平面度・平行度・寸法値を不断に点検しつつ、研削研磨作業を続けます。
作業の内容としては、要するに、「高いところを取っていく」ことになります。
ゲージ1個の仕上げに要する時間は、ゲージの材質・硬度・板厚と測定面長さというワークの物性と、ラップ材の粒度によって異なることは改めて指摘するまでもありません。作業者の立場からは、例えば、22.112~22.115の公差範囲内に仕上がればよいという考え方に立つか、22.112に仕上げると考えるかによって、必要時間数は異なってきます。この必要時間数の違いは、「道具立て」の違いに基づくものです。
30年前くらい前になりますか、大阪のゲージ屋さんで1日16個を仕上げたという話が伝わりました。尋常なことではありません。戦争中は1日10個前後を仕上げることは珍しい話ではなかったということでしたから、それくらいの作業速度を発揮する職人がいても不思議ではありませんが、当面の受け入れ検査に合格しさえすれば良いと割り切る以外にはとてもできない話ではありました。「平時」には「平時」の技術論があります。
私自身はと言えば、通止2段角形片口JIS形状仕様のもので平均的に1個2時間程度の必要時間数を見積もります。
もちろん、使用するラップ材の粒度やゲージの製作公差の規定等の条件によって必要時間数は大幅に異なってきます。
ゲージ製作に際する必要時間数を見積もる場合、ラッピング作業そのものに要する時間数よりもむしろ、温度管理に多くの時間を要することは強調しておかなければならないでしょう。
通常、定盤上で、ゲージとブロックゲージを等温にすることで精度確認をしていきますが、作業中にゲージは体温(36℃)に近くなっていますから、それを定盤上で常温(ほぼ室温)になるまで冷却して寸法や平面度・平行度のチェックをし、更にラッピングを継続していく・・その冷却に要する時間が大きいわけです。
1個仕上げるのに2時間掛かると聞いて、「余程手間の掛かる難しい仕事だ」と理解するか、「何か勿体ぶった言いぐさだ」と受け取るか、人それぞれの受け止め方があろうかと思いますが、実態は、ただひたすら根気強く粘り強く単純作業を繰り返しているわけです。
ハンドラップ概説
●ハンドラップの意味
ハンドラップとは、作業者の手の動きによって、対象物に対して極く微細な研磨作業を施す技法を言います。
この作業の目的とするものは、対象物に正確な平面を形成すること、なのですが、そのために、極く微小な寸法加工ができることが求められます。具体的には、ラップ作業において使用される道具(以下、「ラッピングツール」と指称します。)と、研磨材(「ラッピングパウダー」と指称します。)の組み合わせです。
この作業によって実現されることは、ゲージの場合は、測定面の凹凸が極く微小であること(平滑度が高いこと)、従って、平面度が優良であること、及び、対向面間が定められた寸法値において(完全に)平行であること、です。
なぜハンドラップかと言えば、この技法によればワークの任意の面の特定対象部分に対して自由に研磨を施すことができるからであり、また、ハンドラップによらない限り不可能であるからです。
例えば、フライス加工されたワークを測定してもう10μm削れ、ということは無理でしょう。平面研削盤にかけて再加工したワークをもう1μm削れということも難しいでしょう。しかしながら、ハンドラップによれば、サブミクロンどころか0.01μmのオーダーで再加工することが可能なのです。というより、0.01μmのオーダーでの加工技術は、人間の手によらない限りは自由にはならないと言えます。
人間の手技こそが最高度の精度を発揮するフレキシブルな工作機械である、という次第です。
●ハンドラップの由来
このハンドラップの技法の由来についてはよくわかりません。少なくとも、近代日本において製造品の互換性を保証する《限界ゲージ方式》を生産システムの根底に置いた時には当然限界ゲージの必要性が承知されていたはずであり、限界ゲージが必要に応じてが製作されていたはずであり、限界ゲージが製作されていた時にはハンドラップという技法も確立していたはずのものです。おそらくは海外(ドイツ?)からの移入技術であったと思われます。
ただ、焼き入れ鋼を研削するという技術はある種《地霊との交信》めいた神事の形態をまとった日本の在来技術として確立されたものがありました。日本刀の製作技術です。
出雲産の「玉鋼」を鍛える映像はテレビ放送等でお馴染みですが、それを研ぐ「研ぎ」の世界はあまり知られてはいません。地味な世界ですから映像化し難いのかも知れませんが、国産の天然砥石の秀逸さはもっと注目されてしかるべきものです。
いささか一般論に逃げ込んだ言い方ですが、日本の技術の有り様として以下のような印象を持っています。
新たな必要性が強く意識された時、従前技術で対応できるところとできないところとが直ちに分別され、対応できないところに対してはどのように従前技術を再編展開しなければならないかと工夫がなされる、その工夫の根本は《道具の考案》です。つまり、加工という技術に関しては、人間の能力の原理的・普遍的・一般的な把握が既に確立していて、新たな必要性に正しく対応していくためには、この眼前の具体的・現実的な必要性と既得の人間の能力の原理的・普遍的・一般的な把握とを結びつける《道具の考案》を媒介にして実現されていく、というわけです。
近代以降、欧米の近代技術の移入に素早く成功し得た下地には、このような見方ができると思います。日本の近代を準備した近世社会という視角は、この意味では当然の常識的理解です。近代合理主義思想を素早く身につけた技術者にして初めて西欧近代科学の成果を日本に移入し得たという視点は一種のエリート史観ですが、そのエリート技術者の設計思想や創造性を着実に現実化するためには膨大な技術職人の存在が不可欠です。この技術職人層の質と量が国家近代化の資源でした。近世社会において既に準備されていたのです。
エリート史観を拒否して技術職人層の歴史的な意義を再評価しようとする意図を込めて、例えば職人の職業倫理の形で《妙好人》が語られ、あるいは、ある種「道を極める」《道の思想》が語られてきました。独自技術の確立に成功し、あるいは従前輸入に頼ってきた工作機械の国産化に成功した・・といった近代日本の工業化の歴史は、さまざまな人々の苦労と努力・創意工夫に満ちています。しかしながら、個人の属性に拠って技術が伝承・発展・維持・革命されることは確かにありますが、その個人の属性そのものを広範に支える思想的な歴史基盤があったと考えないといけないと思います。そこまで踏み込まないと見えてこないものがあります。
現在、「モノづくりの危機」が強く意識され、その危機からの脱却方法として、一方で生産現場の生産システム自体の改善・改革が、他方で生産担当者自身の創意工夫へのモチベーション強化が指摘されています。客観的条件としての生産システムと主体的条件としての個人属性の結びつきでモノづくりが成り立っているという近代合理主義思想の呪縛から一歩も出ていない、つまりは所期の成果は期待し難いとは考えています。
伝統回帰と言うと保守的な浪漫派的趣味と捉えられそうですが〔そう言えば、戦前期の日本浪漫派の正当な歴史的評価に出会ったことがありません〕、この《伝統》とされるものの内実をキチンと理解し把握しないと現在の位置が見えないし、未来への出口を見つけだすこともできません。
閑話休題。
ハンドラップ技術が一挙に普及したのは戦時中のことです。というより、そもそも日本におけるゲージの歴史は軍需生産の成長発展と相即するものでした。
国家総力戦ということもあり、陸・海軍の造兵廠でだけでなく、航空機や艦船の製造に関係する軍需工場において技術者が系統的に養成され、また、公立の技術者養成機関も設置されました。そこで適性が認められた者は専門技術職として現場に配置され、あるいは、独立開業して軍需に当たったわけでした。
なぜにハンドラップ技能者の大量養成(大量といっても、何百何千のオーダーではありませんが)が求められたかと言えば、それだけの需要があったということの現れですが、それは、銃火器の製造に当たって、銃身と弾との嵌合精度は規格を満たしていなければならず(銃火器の性能を左右する、弾が銃身内で引っ掛かれば銃火器を破壊して兵士が損傷を受ける)、あるいは、弾の互換性が完全に保証されていなければならない、という事情のため、膨大なゲージの需要があったわけです。ゲージの製作技術=ハンドラップ技術という等式は維持されましたが、それでもゲージの製作が間に合わず、砥石仕上げのものやそれ以下のものも大量に利用されました。
ゲージの製作方法について、陸軍式(大阪式=陸軍大阪造兵廠)と海軍式(広島式=呉海軍造兵廠)という二つの方式がありました(関東ではどうだったかは知りません)。製作すべきゲージの大きさの違いによるものですが、いつしかこの二方式は混和し、大きなモノは広島式で、小さなものは大阪式で製作されます。これは現在でもそうです。従って、同じくゲージを製作するといっても、その技術職人の系譜経歴によって製作方法は一様ではないわけです。
ブロックゲージの国産化に成功したのは津上退助氏(津上製作所)のおかげでしたが、いろいろと紆余曲折・浮沈も経過されたと聞いています。氏の職人技を侮って別個にブロックゲージの製作に着手したメーカーもあったわけですがどうしてもうまくいかない(すぐに経年変化が生じて寸法が狂う)こともあったそうです。それはそれとして、ブロックゲージがなければどうしようもないので、それぞれ製作されました。ミクロン・レベルで精度が出ていればよいという程度のブロックゲージでさえ逼迫していた時代でした。
私などが感服してしまうのは、当時において、津上製のブロックゲージとその他製のブロックゲージとの《違い》を検定できる測定器と精密測定技術者が存していたということと、検定結果が客観的に評価されて現場にキチンとフィードバックされた、という事実です。
国家総力戦という《大義》の下ではじめて技術・技能が客観的な評価が成り立ち得た、ということを意味しますが、今なら、さしずめ《大義》とは《市場の評価》ということになるのでしょうが、うまくフィードバックされているのでしょうか。
●ハンドラップ技術の現在
戦後、ハンドラップ技能者のある者はゲージ製造業を始め、あるいは他の職に就きました。
ゲージメーカで板ゲージ製作に従業していた人が独立することも相次ぎました。
技術としては、私(わたくし)の事業体としてのゲージ製造業の枠内に閉じこめられ、限界挟みゲージの製作に当たっているところにはよく維持されてきていますが、それ以外(いわゆる丸物ゲージ製作、もしくは測定ジグ製作)の分野に主力を置くようになったところではいつしか放置されました。親子等の世代間継承に失敗したところでは亡失されてしまいました。今では、ハンドラップという技術があることは知る人は知っていると言えても、本当に理解されることは稀と言ってもよい状況のようです。
なぜこのような状況に至っているかについてはさまざまに論じることが可能です。私自身も、暇をみていろいろと論じていくつもりではおりますが、ここでは2・3の点だけを指摘しておきましょう。
一つには、技術の存在が個別私企業(経営体)の枠内に止められているだけで、その技術の汎用性・普遍性に対する自覚を欠いていた点があります。半導体製造技術の分野で、ウェハー表面ラッピング技術(鏡面仕上げ技術)に各社がしのぎを削っている現在において、ゲージ業界のこの分野に対する関心はほとんど冷淡です。シリコンや硝子の表面ラッピングよりも焼き入れ鋼材の表面ラッピングの方が数段の技術的困難さが有り、ゲージ製作技術がこの分野に寄与できるものも多いと思えるのですが。
また、二つには、大学工学部での教科書において、ハンドラップ技術が付け足しのように記載され、しかもその内容は定盤ラップからの類推に基づいて説明されていることです。精密測定工学や生産技術工学の分野の学生に、これでは、正当な理解を期待することもできません。教科書の執筆者本人がおそらくはハンドラップの現場を知らないということですが、ゲージ屋は誰もこの先生に見せようとはしませんから、それはそれとしてやむを得ない結果ではあります。
三つ目には、ハンドラップという手仕事で生産を行っている限りは《家業》ではあっても《事業》にはなり難く、野心のある二代目・三代目は機械力を主とした加工業への成長発展・転身を図ります。その方が、「一人前のゲージ職人になるには十年かかる」のに十年たってもこの程度の事業でしかないという、いささか徒労に満ちた世界から早々に足抜けができるというものです。
従って、ハンドラップ技術もいつしか途絶えてしまうのではないか、という危惧が存します。
需要がある限りは技術が途絶えることはありませんが、異分野の技術者が独自にハンドラップ技術を確立する可能性もあるかと思えます。現在の《鏡面加工技術》です。
しかしながら、その喧伝された《鏡面加工技術》によれば、ワークの加工硬化(熱硬化)が回避し得ず、おそらくはワークそれ自体が歪んでくる(捻れてくる)だろうと思えます。鏡面加工というのは、私どもの理解では、表面の凹凸が可能な限り僅少であると同時に平面度が限りなく水平面に近いモノでなければならないのですが、この後者の問題の解決がどのように考えられているかが問われるわけです。鏡面ラップ機で加工する限り加工硬化(熱硬化)が回避し得ず(冷却しても困難です)、焼き入れ鋼に対しては焼き戻しがされたと同じ結果を招き、従って、(最終的には)人間の手に依らざるを得ないのですが 、そこまでの表面精度は不要であるならばともかく(半導体製造技術で言えば、回路パターンが焼き付けられるまで平面度/鏡面精度が維持されていれば良く、その後の工程で仮にワークが変形したとしても何とか凌げる、というのが実態なのでしょうか?)依然解決されるべき問題は存しているようです。
さて、以上が『前口上』となるハンドラップ技術の位置づけですが、以下に、この技術の工学的な意義付けを行っていきましょう。
定盤ラップという技法
教科書の例に従い、基本形である定盤ラップから説明していきましょう。
右図の概念図で説明すれば、正しく平面に仕上げられた定盤の上にラッピング剤を塗布し、ラッピングすべきワーク面を定盤面に密着させて摺動させればよい、という説明が一応は成り立ちます。
実際はそう単純なものではなく、定盤上では、ワークの自重に加えてワークを定盤に押しつける力が必要で、その力とワークを摺動させる力との合成がワークの端部に集中します。つまり、この部分のラッピング(研磨)効率が他の部分よりも高度になってしまい、ワークの全体のラッピング面は丸くならざるを得ないことが明白です。
「ラップ定盤の平面を正しくワークのラッピング面に移していく」というためには、自重方向への押し圧力に比べて極く小さい力でワークを摺動させることが必要ですし、定盤上のラッピング剤も必要最少限度にしなければならないわけです。定盤面とワーク面の間でラッピング剤を浮遊させるという方法が鏡面ラップの技法であると言われていますが、その可否は別として、平面度の確保が困難です。ワークの周辺部が必ず「だれる」のです。従って、作業の見通しとしては、対象のワークの周囲に「捨てワーク」を設定して全部を一体のものとしてラッピングしてしまう、ということで解決を図ることが考慮されます。
原理的には以上のようですが、簡易に平面が確保できる技法ですから、さまざまに改善を加えて活用されている技法です。
ハンドラップという技法
●ハンドラップ技法の実際
ハンドラップ技法は、右利きの作業者の場合、左手でワークを支持し、右手でラップ工具を操作してワーク面上をラッピングする技法です。
この説明から明らかなように、定盤ラップ法のワークとラップ定盤の位置関係を転倒させたものです(だから、定盤ラップ法からの類推でハンドラップ法が説明されるわけです。)。
ラップ面の品質を決定するのはラップ工具で実現できる平面度と、ラッピング剤によって実現できるワーク表面の平滑度ですから、従って、ラッピング剤をどのように活用・利用するかが鍵となります。
ラッピング作業を通じて、ラッピング剤の具体的な作用は、①ラップ工具表面に固着してワーク表面を線刻していく、②ラップ工具表面とワーク表面との間で回転しつつ両面を抉り込んでいく、③ラップ工具表面とワーク表面との間で浮遊しつつ両面を摩耗させていく、④ラップ表面に固着して、ワークの表面組織を剥ぎ取っていく、というように分別できると思います。
例えばダイヤモンド砥粒が埋まり込んだラップ工具を使えば、それは一種のダイヤモンド・ヤスリですから、容易にワーク表面を削り込むことができます。ワーク表面に塗布したラッピング砥粒をラップ工具表面でヌルヌルと擦り込むようにすればワーク表面の凹凸を消していくことができます。つまり、ラッピング剤の粒子の幾何学的形状と硬度・自己破砕性といった物理条件と、ラップ工具のワーク面に対する押し圧力などの作業条件とがうまく組み合わされて作業されています。
このうち、ラッピング剤のメーカーは限定されており、また、従って入手できるラッピング剤もその種類は限定されたものとなっていますから、あとはどううまくそれを使いこなすかというだけに問題は限られます。
もっとも、このように言ってしまうと、まさしく経験がすべての《手業の世界》であるかのような印象を与えてしまいますから表現に迷うのですが、現実的には、徹頭徹尾、理論による諸現象の解析に基づいて如何に自己の身体能力を統御していくか、
に集約される問題だと思っています。
通常、#2,000~#3,000の粒度のラッピング剤を使用してのラップ表面でゲージとしては必要充分な面性状が出来上がります。
私どもでは、技術的には#30,000の粒度のラッピング剤を使用するまでに至っていますが(これ以上微細なラッピング剤は市販されていませんので、既に行き着くべき所まで行き着いているという状況です)、ゲージ製作上の品質基準としては#10,000でのラッピング(つまり、それによって実現され得る面性状)としております。
なお、粒度の問題についてもう少し説明が必要でしょう。
ラップ機を使用してのラッピングを行っているあるメーカーでは、粒度#1,200程度を採用されているように述べられていますが、結局、適正粒度は、ワークの材質・硬度、ラッピングの押し圧力と速度、で決まるようです。
ラッピングの押し圧力を高めれば、あるいは速度を高めれば研磨力が上がりますが摩擦抵抗が上がって発熱しますし、ラッピング剤の粒度について言えば、押し圧力が高ければ摩擦抵抗が上がりますが、適正な押し圧力を加えないと研磨力が発揮されません。押し圧力を加えると、ワークの表面には弾性がありますから、厳密な平面として研磨することができません。ラッピング剤が均等にワーク表面に表面に分布し、均等に押し圧力が加わるようにしなければなりませんが、今度は、ラッピング剤をワーク表面に均等に分布させるべき媒質(水もしくは油)に粘性がありますから、押し圧力が素直にラッピング剤に均等に伝わることがありません。同時に、ラップ工具が旋回運動をする場合、外周と内周の周速度の違いがワーク表面に対してヒネリの力を加えるようで、ワーク表面を削ぎ落とすような作用もするようです。ワークのわずかな凹凸が研磨面全体にさまざまな影響をもたらせます。通常、常識的にはワーク表面は均一な性質を持つと考えられますが、サブ・ミクロン以下の微細な世界では、金属その他の結晶構造に拠る不均一さが特異な現象を現出するのではないかと疑っています。
ハンドラップの場合は、上記のような問題はあまり生じません。
ラッピング剤で研磨したあとポリッシング剤で研磨痕を消すという作業があります。これについてはさまざまに論じるべき点がありますが、特定の作業者の作業についてのみに固有の問題なのか、特定の素材とポリッシング剤との組み合わせにおいてのみ生じる問題なのか、何が特殊で何が原理的な問題なのかの分別が充分ではなく、ここでは詳論しません。
●ハンドラップ技術とトレーサビリティ
ハンドラップで実現されることは、面の平面度と平滑度の点だけでなく、例えば、対向した2面間の傾きを補正して面間平行度を厳密なものとするという点にも存します。
ISO9000’sの時代に至って、実は、ゲージそのもののトレーサビリティとは何をいうかという問題が改めて意識されなければならないと考えています。そんなことは単純明快なことだ、ブロックゲージを差し込んでみれば誰にでも明確だ、何を訳のわからん理屈を言い立てるのだ、と言われそうですが。
例えば、このゲージの寸法が25.113であるとされる場合、この25.113の寸法は何を意味しているか、です。結論を言えば、それはこのゲージの最小寸法値を指示しているわけですが、それでは、ゲージ寸法にテーパーが掛かっているか否かにまで踏み込んで検定されることはまずありません。ゲージ測定面の捩れや面粗さにまで踏み込んで検定されることがまずないわけです。だから、受け入れ検査で合格した複数ゲージについて、あるものは使用後すぐに寸法が大きくなり、あるものは結構長く精度が維持される、という現象について、焼き入れが拙くて耐摩耗性が劣っていたという結論が出される場合があるにしろ、実態は、ゲージ面の捩れ等で最小寸法値の箇所が点でしかなかったためその部分が摩滅すれば直ちに正体が現出したのだ、ということもあるわけです。寸法公差に幾何公差の考え方を導入した場合でも、それはなかなか解決策にはなりません。
つまり、 ゲージの基準面が正確に確定されていて初めて、ゲージ測定部の面間寸法値や面間平行度が確定されるわけですから、それだけに、ハンドラップ技術による正確確実なゲージ測定面の仕上げが求められます。
ゲージ製作におけるハンドラップ技法(追加の議論)
「ハンドラップとはラップ工具の平面度をワークに移していく工程である」という説明がなされますが、正確には、「ワーク表面の凸部を研磨して磨削していき、最終的に凹凸のない平面を形成する工程である」と言うべきです。従って、その目的に適合したラップ工具の性状が確保されていればいいわけであって、必ずしもラップ工具そのものに平面度が確保されていなければならないというものではありません。
このことは、半丸のヤスリでワークを直線に仕上げることができることからも自明のことです。練達したヤスリ仕上げ工は1本のヤスリで直線加工も凸R加工も凹R加工も自由自在に行えるものです。傍で見ているだけで感動しますが、こういう熟練工はすっかりいなくなりました。
ゲージの仕上げに際して、先ず、基準面を仕上げます。
面精度はオプチカルフラットで検証しますが、0.1μ精度のオプチカルフラットで光彩の筋が出ないまでに仕上げできます。この段階では当然ブロックゲージとリンギングします。但し、厳密には(10万分の1mmのオーダーもしくはそれ以下ですが)、わずかに凸Rが掛かっています。(なぜ凸Rになるかを考えてみることは有益なことです。)
昔の話になりますが、ヨハンソン社製のブロックゲージはリンギングが強く、長尺に組み合わせても容易に分散しないという「定評」がありました。国産のブロックゲージでは及び得ない世界であるとされてきました。この秘密は、ブロックゲージ端面の「平面度」が良いということに尽きるのではなく、極くわずかに凹Rが掛かるような仕上げがなされている、と理解されていました。
つまり、リンギングという現象をどう理解するかに関係することなのですが、完全に平面に仕上げられた平面同士がリンギングする場合、両者の接合面において原子間引力が作用して引き合うためにリンギングするのだという理解がありましたが、そのような「理想平面」が工業的に実現されているとはにわかには信じがたいことも事実です。これに対して、ヨハンソン社製のブロックゲージのような場合、わずかに凹Rとなっている平面同士を接合させた場合、両者間のわずかな空隙にある空気は両者の弾性によって排除され、大気圧が掛かることによってリンギングする、という理解がなされます。どうもこれが正当な理解ではないかと考えていますが、現在では、教科書では両者の油面が接着の役割を演じているとされています。
技の問題として考えなければならないことは、どのような方法に拠ってかわずかに凹Rにラッピングでき得た実例があったわけですから、わずかな凸Rからわずかな凹Rへ至るラッピング技術とはどのようなものであるかを私たちなりに究めることです。理論的には凹R面とするプロセスはさほど難しいものではないのですが、「道具立て」がどうなるかが「やってみなければ分からない」世界となっています。もっとも、凸か凹かでブロックゲージではないハサミゲージの寸法精度品質が左右されるものではないので、実務的にはあまりマニアックな世界に足を踏み入れることはありません。
ハンドラッピングの具体的な研磨状況に関しては充分研究されているとは言えないようです。
ダイヤモンド砥粒を使用してのラッピングにおいて、砥粒がラップ工具に固着して一種のダイヤモンドヤスリとなっているのではないかという見方は既に指摘しましたが、WAやGCという砥粒の場合、ラップ工具が鋳鉄製の場合、その表面に散在する穴にこれらの砥粒がはまり込んで固着し、同様にWA砥石やGC砥石として作用しているのではないかとも類推されています。
しかし、そうであるならば、砥粒の大きさが鋳鉄表面上の穴径より小さい場合には機能しないということになります。
こうして、砥粒を最初から固着させたプラスチック素材をラップ工具とするものが開発されてきました。
しかしながら、実際に使用してみると明白なのですが、確かにワーク表面の凹凸を消して平滑な面を作ることはできても、それによって形成されるべき平面度は劣ります。それでは、ということで、砥粒を固着させたプラスチック素材を極薄のテープ状にするとか、弾性を改良した素材を開発するとかの工夫もされてきています。それなりの成果はあるのでしょうが、ゲージには採用できないように思えます。
ゲージの場合、現在もなお、鋳鉄製のラップ工具が使用されています。
概ね#2,000~#3,000の砥粒において良好な結果をもたらすため、先に述べた「鋳鉄製ラップ工具の表面に散在する穴にこれらの砥粒がはまり込んで固着し、WA砥石やGC砥石として作用しているのではないか」という見方を補強するものです。更に言えば、工具材料の鋳鉄に個体差が著しいようで、非常に良好な「切れ味」を発揮するもの、ほとんど役に立たないものなど、千差万別です。このことも補強材料でしょう。また、砥粒が#5,000以上の場合にはラッピング効力が劣ります。このことも補強材料になります。
しかしながら、この見方に立脚する限り、ラッピングとはワーク表面を《線刻》していくことになり、ダイヤモンド砥粒を採用することが最も効率的であって、また、ワーク上に実現されるべき平面度はラップ工具表面の平面度に規定される、という結論から脱却することはできません。
実際には私が現に使っているラップ工具上の平面度は必ずしも確保されていませんし、ダイヤモンド砥粒は採用していませんから、今まで述べてきた「教科書的見解」はことごとく「何かの誤解に基づく辻褄合わせ」でしかないと思っています。
私自身は、ラッピングのプロセスはもう少し複合的なものから成り立っており、従って、事態を単純化してしまう見方は自分自身が現に行っている技法の有り様を見失わせるものと考えるわけです。
さて、基準面を仕上げ終わったら、対向する測定面(通止の測定面)を仕上げます。
ブロックゲージとオプチカルフラット等を用いて、平面度・平行度・寸法値を不断に点検しつつ、研削研磨作業を続けます。
作業の内容としては、要するに、「高いところを取っていく」ことになります。
ゲージ1個の仕上げに要する時間は、ゲージの材質・硬度・板厚と測定面長さというワークの物性と、ラップ材の粒度によって異なることは改めて指摘するまでもありません。作業者の立場からは、例えば、22.112~22.115の公差範囲内に仕上がればよいという考え方に立つか、22.112に仕上げると考えるかによって、必要時間数は異なってきます。この必要時間数の違いは、「道具立て」の違いに基づくものです。
30年前くらい前になりますか、大阪のゲージ屋さんで1日16個を仕上げたという話が伝わりました。尋常なことではありません。戦争中は1日10個前後を仕上げることは珍しい話ではなかったということでしたから、それくらいの作業速度を発揮する職人がいても不思議ではありませんが、当面の受け入れ検査に合格しさえすれば良いと割り切る以外にはとてもできない話ではありました。「平時」には「平時」の技術論があります。
私自身はと言えば、通止2段角形片口JIS形状仕様のもので平均的に1個2時間程度の必要時間数を見積もります。
もちろん、使用するラップ材の粒度やゲージの製作公差の規定等の条件によって必要時間数は大幅に異なってきます。
ゲージ製作に際する必要時間数を見積もる場合、ラッピング作業そのものに要する時間数よりもむしろ、温度管理に多くの時間を要することは強調しておかなければならないでしょう。
通常、定盤上で、ゲージとブロックゲージを等温にすることで精度確認をしていきますが、作業中にゲージは体温(36℃)に近くなっていますから、それを定盤上で常温(ほぼ室温)になるまで冷却して寸法や平面度・平行度のチェックをし、更にラッピングを継続していく・・その冷却に要する時間が大きいわけです。
1個仕上げるのに2時間掛かると聞いて、「余程手間の掛かる難しい仕事だ」と理解するか、「何か勿体ぶった言いぐさだ」と受け取るか、人それぞれの受け止め方があろうかと思いますが、実態は、ただひたすら根気強く粘り強く単純作業を繰り返しているわけです。